こんにちは、もっちーです。
一穂ミチさんの「きょうの日はさようなら」を読んだ感想を書いていきます。
1995年を生きていた女子高生(今日)が、とある理由で2025年を同じ年齢のまま過ごす
といった内容のストーリーになっています。
どこかタイムスリップ系(時をかける少女?)みたいな感じですね。
最後に今日子が発する心の声が切なすぎて、つい感情移入して泣きそうになってしまいました…。
前半はゆるやかなテンポで話が進みますが、後半になったら「もしかしてミステリー?」と感じるような展開がありました。
登場人物の今日子が2025年を過ごすのには理由があって、それは思った以上に悲しい現実が…。
物語が最後に近づくにつれて、タイトルの「きょうの日はさようなら」の意味が分かってきました。
そこまで長くない小説なので、気軽に読みやすいと思います。
興味のある人はぜひ読んでみてください。
最後に心に刺さった文章をリストアップしました。
1つ目
この時代は「モノ」としてないほうがいいって思われてる
p56
存在しているもの=価値あるものだと思われていましたが、今の時代になるにつれて考え方が変わってきています。
- 音楽(CDから配信に)
- 本(紙から電子書籍に)
- お金(玄関からキャッシュレスに)
このように実在するものではなく、目に見えないもの(電子データ?)が求められるようになったのではないでしょうか?
今回の物語では1995年と2025年を比較していて、この30年で世界が大きく変わったのだと改めて実感しました。
2つ目
「こうなっちゃいけない」と強く思えば思うほど、そっちの方向に進んでしまう
p206
まさに強迫性障害ですね・・。
ちょっと話が変わりますが、高瀬隼子さんの「水たまりで息をする」という作品に似ている部分がありそうです。
主人公は仕事の飲み会でとある事件が起きてから、水を浴びるのが怖いと感じるようになりました。
水を浴びるのが怖いと思えば思うほど、それを避けるための行動が強く出てしまい、思い通りにいかないことに悩み苦しみながらも幸せを見つけていくストーリーになっています。
気になった人はぜひこちらの小説も読んでみてください。